恐らく誰もなりたがらないであろう、底辺層から見えるもの

勝ち組、負け組という言葉が生まれ、今も尚、その言葉が流行語として終わることなく使われているということは、やはりこの世の中勝ち負けで物事決められているのだろうというような言葉を、先日読んだ本で見た。

 

わたしもそう思う。勿論、皆が皆そうではないだろうということは前提として、世の中の人たちの多く(一部?)は、皆自分だけは底辺になるまいと忙しい。

学歴、肩書き、名誉、どんな企業に勤めているか、生まれ育った環境だとか年収、パートナーのステータス、他にも諸々…。

私はその競争社会を、数年前から傍観する側へと回った。というより、土俵から少し降りた。もっというと、降ろされたという感じが近い。25歳のときうつ病になり、それですらずっと昔から精神的に不安定で、ようやく名がついたといっても過言ではなかった。私は所謂弱者側、あらかた自分でもなんとか立ってはいられるが、人の支えなくしては生きていけない側へとなり(本当は誰しもがそうなのだけれど、多くの人は忘れている)当たり前のことが当たり前ではないのだということを日々痛感している。もう強者どころか並の人間ですらないだろう。ピラミッドの中にすら入れないと思う。

 

底辺層、底辺、負け組という言葉を見るたびに

「自分は恐らくともいわず、この底辺というやつなのだろうな」としみじみ思う。

不思議と、悔しい悲しいという気持ちはなく、

「まあいいや、私は私で…。皆すっごく大変そうだし…。」

という心地で今はいる。抗うのを止め、ありのまま自分のまま、私は私であると石を磨いたところで急に金塊にはなれないとふとわかったとき、私はすごく楽になった。

 

言葉がまとまらない。元より学がなく文章を書くのが下手なこと、感情的にもなるし、つたない文であるのが情けない。少しずつ追記や変更をしていくとは思うけれど、まとめていけたらいいと思う。

 (8/17:ほぼまとまりました。誤字訂正とおかしなところを直しました。)

kutabirehateko.hateblo.jp

 

はてこさんのことは、ツイッターでもこっそりフォローしており、時々記事を拝見している。

はてこさんの文は読みやすく、とても好きだ。いろんなことを書かれているが、最近はこういった記事をよく書かれているなぁ、と思う。はてこさんの書かれた記事すべてを網羅しているわけではないけれど、はてこさんの記事を時々読んで、タイトルの通りわたしも時々考える。

 

皆、人の上に立とうと忙しい。暑さのせいではないと思う。

 

てっとり早く自身をステータス形式で紹介させて頂くと、

・28歳独身。女。恋人なし。

・高卒。年収はお察し。

・所謂貧困家庭育ち。両親共に離婚したり再婚したりで、とりあえず一言で説明できないくらいには複雑。母親はまあそこそこの資産があると思うけれど、下記の通り絶縁状態。

うつ病患者。自殺未遂の経験もあり。現在なんとか少しずつ回復の兆しは見せつつも寛解ではなく治療中。精神障がい者手帳3級所持。

・顔は並以下。スタイルも良くはない。最低限清潔感が損なわれない程度には気を配る程度。(というより、ようやく身なりに気を遣えるように回復してきたという感じで、少し前まではそれはもう目も当てられないほど酷かった)

・家族とはほぼ絶縁状態。

・特別何か財産があるでもなし。特別秀でた能力もない。

大体こんな状態。

 

自身としては、これが私の28年間のすべてとしかいいようがないので、自分を底辺だとかもっとひどい人がいるからマシだとか人様にいうつもりもないし、上だ下だというのはもう言いたくないけれど、恐らくそういうものを気にして人生を賭けている人たちからしたら、十中八九私は「近寄りたくない人、絡むと自身のステータスが下がる人」だと思う。しあわせな人からは哀れみの目を向けられ、きっと悪い人からは見下される人間だと思う。

 

少し大変な思いはしてきたと思う。だが別段自身を「私可哀想な人なんです。だからかわいそがって」とするつもりはない。親を憎んだこともままあったが、中学二年のころくらいをピークに、もうそういったことはどうでもよくなった。許したとか許さないとかではなく、どうでもよくなった。周りから同情して欲しいという気持ちも、二十歳そこそこの頃、うつ病が酷かったころをピークに、およそもう過ぎた気がする。

今はもう、人を踏んで、上に行くだの下に落とされるだの這い上がるだの蹴落として生き延びるだの気にするのはほとほと疲れたし、あの土俵の上に自分はもうあがれないけれど、もうあがりたくもないなと思う。

 

皆そんなに人を蹴落とし合って、何がたのしいのだろう。

私が言ったところで、「はいはい負け犬の遠吠えわろすわろす」でしかないだろうとも思うけれど、はいはいわろすわろすというテンションで私は言っているのではなく、人を踏んでその上に土足でのし上がり、下にいる人たちを見て声を高くあげて笑い、そこから見える景色はそんなに美しいのだろうかとか、そういう気持ち。

美しいと思う。皆必死だから。きれいじゃなかったり大して得る者がないのだとしたらこんなに参加者はいないだろうし、誰しもとうにやめているだろう。

 

お金や名誉は、時として人を人でなくさせるからあまり好きではない。心をおかしくさせると思う。勿論お金は、ないと困るのは同意だけれど、そんなには必要ない。

 

上に上がったところで、棺桶の中に札束を入れることは出来ない。

 

残る方がいるのならば、残る人の為にあれこれ残そうと躍起になる気持ちはわかるけれど、私が見る限りああいった人たちは、後世の人のことをよく考えて忙しそうにしているようにはあまり見えない。皆何と戦っているのかが本当によくわからない。

 

話が飛んでいるような気がする。文章をまとめるのが下手で本当に申し訳ない。

 

私はこの先、自ら自分の配偶者になるだろう人を積極的に探す予定はない。まあ巡り合えれば幸いかもしれないけれど、まず誰も選びたがらないだろう。

卑屈ではない、これは事実だと思う。勿論、周りの人は目一杯しあわせになってほしいと思うけれど、自分がその目一杯しあわせになって欲しいに入るかと言われると、ちょっと違うと思う。

 

アッパーリミットが低すぎるので、幸せがやってきたところで自身で壊す可能性は大いにある。それは大いに自覚している。

私にとって、大切な人生のある人を、自身の人生に大きく巻き込む行為は非常に心がしんどい。知人や友人ならまだすぐ離れられるかもしれないけれど、生涯のパートナーになると私には重い。

パートナーは勿論楽しいこともあるかもしれないが、精神障害を抱えている私の面倒を一生見なくてはいけなくなるかもしれない。不安定になり突如泣く私を支えねばならないかもしれない。そのくせ私には返せるものがなにもない。やさしい人がつぶれるのを見るのはつらい。

なので私は、もうひとりでいることを現在選択している。共倒れになり、犠牲者が2人になるのなら、犠牲者は1人の方がいい。さみしいときもあるけれど、それでいいし、それがいいと思う。

 

子供を授かる気も今はない。私の遺伝子を継いだ、感情ある人間を産み出すのは怖い。ましてその子供が、私の一挙一動を見て育っていくのだと思うと心底ぞっとする。ついでにいうとペットを飼うのも怖い。自分の近くで、自分がその命を左右する命綱を握るとか、大きな命が息をしているのが怖い。命を殺したくない。

 

それに、こんなに上だの下だの、自分はああはなりたくないだの、人を人と思わずに我さえ良ければと、目の前の人間が心ある人間であるということを忘れて、人を見下ろし自身を持ち上げて、弱者にも他人にも厳しい社会に、私の遺伝子のいくらかを引き継いだ、私を見て成長していく新しい小さな命を生きていかせるのはあまりにも鬼畜だと思った。(私が私自身に対してそう思うだけで、別に他人様が子供を授かることや、他人様の人生をとやかくいうつもりは毛頭ない)

 

自身も出来れば、今は少しやりたいことがあるから生きてはいるものの、長くても40までには生涯を終え、早めに切り上げたいと思っている。もう28なので、折り返し地点は過ぎた。あと少しだ。そんなに死に急がなくても…、と言われるかもしれないけれど、11のときに「自分はこの世に必要ではなかったのだ」と思い、16で「よく頑張った、長生きした」と思った人間が、28まで生きているだけでもよく頑張ったと褒めて頂きたい。

「そういうこと言うやつこそ死なないんだよなw」と言われるかもしれない。そうかもしれない。けれどなんとなく、私は80だとか90まで長生きはしないだろうなと、いつも静かに思っている。

 

余談が続いて申し訳ない。

前述の通り、私が初めて自分の人生に見切りをつけたのは11歳の頃だった。

物心ついたときには両親は離婚していた。私は祖父母の家で育った。父が再婚して父親に引き取られたものの、父は自分に子供がいることを再婚相手に全く説明していなかったらしい。しかも子供がいないと説明し続けたまま、もう数年も、継母と継母の連れ子3人と生活しており、親(私から見た祖父母)に「親だろ、何してるんだ」と叱られて、白状せざるを得なくなり、実はおまけがいたのですへへへ…という状態だった。出来上がった家族の輪に飛び入り参加させられた私の居場所は、勿論なかった。

子供がいるだなんて聞いていないということで継母と父はよく喧嘩をしていた。いるだなんて聞いていない、いなかったらという声がリビングから漏れるのを延々部屋で聞いているのが辛く、継母からきつく当たられるのが辛く、黙って借りていいのかもわからないドライヤーを恐々としながら風呂場から拝借し、自室でコードで首を絞めたけれど、痕がついたのみで死ななかった。多分この事は父も誰も知らない。生きてる、と思った。思ったよりも苦しかった。

 

その後も髪の毛を抜く癖、足の皮を剥く癖、爪を噛む癖諸々が収まらず、髪の毛は抜きすぎてところどころがはげになった。15のころ結局二人は離婚し、私はあらゆる開放感から学校に行くのが途端に嫌になり、不登校になり、自傷行為が常習化し、行けるところも限られていたが一応高校には行ったが、高校の頃はよくマッチ棒で腕を炙っていて、いまだにその痕は残っている。

 

16歳になって、高校の学生証の自分の年齢を見たとき、「長生きしたなぁ」と心底思ったことも鮮烈に覚えている。これは人にいうと笑われるのだが、本当に心底思った。

離婚した父が自己破産をし、二人暮らしをしていたが電気やガスや水道がよく止まった。家賃も滞納しており、その日暮らしもいいところでお金がなかったので修学旅行にもいけなかった。どのルートをどう回るかと盛り上がるクラスメイトの話し合いに、何故かはなから行けない私も参加させられ、おみやげはここで買おうだとか、自由行動のときはここに行こうだのと花咲かせるクラスメイトの話を、私はただただ黙って聞いていた。修学旅行の日は職員室で勉強をしていた(休むと、学校を欠席したことになってしまうため)

勉強は好きだったので成績はそこそこに良かったが、父が学費を払っておらず、進学が危うくなったこともあった。遠足も、交通費やおみやげ代を捻出することが出来ず、欠席した。そのくせ何故か成人式は大丈夫だろうと思っており(ここまで来てもなお、成人式はどこかから魔法使いが現れたかのように自動的に振り袖が着られるのだと思い込んでいた)、周りの女の子が華やかな振袖を着ている中、リクルートスーツで行った。さすがに悲しくて泣いた。けれどどんなにあがいても振袖は着られなかった。

 

というよりその前に就職し工場で働いていたのだが、その給料のいくらかを毎月毎月父に貸しており、自身の残った給料は自身がその日生きて行く為に使っている状態でほとんど毎月残らない状態だった。これは裕福な人はわからないかもしれないが、貧乏過ぎる方がなんというかベースとなるものが全くないためお金がかかる。

父に貸した金は返ってはこなかった。私はただのATMだった。祖父母からは「お父さんが困ったときは、あなたがお父さんの面倒を見るのよ」と呪詛のように電話で都度言われ、親戚からも言われ、自身もそう信じ込んでいた。祖父母は私が好きだったのではなく、(勿論ものすごく嫌いだったという訳ではないだろう)大好きだったのは父で、私のことは「父の面倒を見てくれるから」まめに連絡をしたり好いてくれていたのだということは、父と離れたときに憤りまくった祖父母の反応を見てわかった。

いろいろあり、父と離れ今度は母と生活したが、そこでの生活もまあ私の精神の脆さもあって散々だったし、幼いころからの居候生活ばかりで人の顔を窺う癖が身に付いていた私は、常に息が詰まっていた。「何かあったら言ってね」と母に言われ、夜中に誰かから下半身を触られたとき、母に相談したら私は頭がおかしいものとされた。あのときの話は母たちの間では禁句となっており、私はあれから母に相談事はしていないのだが、のんきに「あなた私のこと頼らないから楽」と言われた。

どんどん逸れてる。結局母とも離れた。母とはうつ病にかかり自殺未遂を私がした辺りから会っていない。母は、自分自身もようやく落ち着き、私以外の兄や弟が割と優秀なのに対し私がうつ病になったもんだから、正直私との付き合いは避けたそうに見える。仕方ない。母も、上にいきたい世界の人し母には母の人生がある。母に会っても、私が存在していることに困っていること、どう扱ったらいいのかがわからず空回りしていることがよくわかるので、もう会ってもいないし恐らくよっぽどのことがない限りこれからも会わない。

 

ようやく本題に戻るけれど、こうやってつらつらと話していても、「ああ自分ではなくて本当によかったな」と内心思っている人たちの顔がありありと浮かぶ。自分はこれでなくてよかった、上にいる人で良かったなって。

それから一人暮らしをして細々と生活しているものの、25でうつ病にかかり、この通り頼れる家族がいないので一人で闘病生活を送った。(勿論全く家族に迷惑をかけなかったわけではない。迷惑はかけた。)

何度も死のうとし、実際に自殺未遂もした。現在は精神障がい者になった。病院や家族、知人友人…沢山の人に迷惑をかけた。

昔から絵を描くことが好きだったので、今は趣味で漫画や絵を描いて時々同人誌を出してはいるが、有名かと言われればそんなことはない。読んでくれる人はそこそこいるが、超売れっ子かというとなんでもない。同人のアカウントでもこういったことはあまり話していない。手帳を持っていることはごく一部の友人しか知らないし、それも滅多に話さない。

 

もう少し続く。すみません。

しんどかった一人での闘病生活もなんとか落ち着き、今は休職期間を経てなんとかフルで働けるようになり、のんびり一人で生活できるほどには回復した。時々体調不良でお休みを頂くことはあるが、職場の人たちはとてもやさしく有り難い。彼らがやさしくなかったら私は死んでいたと思う。

 

甘えているとは思う。けれど、半ば半強制的に所謂ステータス等の条件で人となりを見るというところから降ろされた瞬間、気持ちがすごく楽になった。まず私のステータスを見て金銭的に期待したり、上に行けるかもと寄ってくる奇特な人はほぼいないからだ。

パートナーも出来ないとわかれば、他人に大きく寄りかかることへの不安で悩むこともなくなった。家族ともほぼ縁がない。あらゆるものから解放され、今は好きな絵を描いて時々同人誌を出して、ネットでいろんな方といろいろ考えながら交流をする。それが出来るようになった今、失ったものは多かったし自身も薄情者だとは思うけれど、ようやく今心穏やかに生きていられて呼吸が出来ているような気がする。

 

私は別に、このまま所謂底辺層の人間でも構わない。

負け犬の遠吠えだと思われるのならそれでもいい。関わりたくない、関わったら自身のステータスが下がるというのならそれでもいい。私もそんなことを言う人にかかわりたくはない。今は心静かに身体を休めたい。

 

偉い人や、上へとのぼったひとは、足元で花が咲いていることを忘れてはいやしないか。

私は、花を踏みつけて、その上でしあわせだしあわせだと踊り狂う余生などいらない。私は、漫画等を通じて人の心になにか痛烈に爪痕を残せればまあ上等といったところなので、下で沈んでいたところで大して問題はない。

 

これは別に全てを悲観している訳でもなければ、「どうせ私なんてしあわせになれないし」とか「なんでわたしばっかり」などとすごくネガティブになっている訳でもない。むしろすごく前向きな気持ちでいる気がする。…自分でうまく説明は出来ないけれど。

もう少し余裕が出来たら、お世話になったり迷惑を掛けた人に、返せるものをきちんと返したいと思う。そして心静かに絵の中で死に、生涯を終えたい。

 

私は多分、たった少しの絵のみ残して死ぬだろうし、上へ上へと行きたい人たちはこれからもそうであるだろう。肩書やステータスで人を見る人から見る私の人生は、そういった人たちから見たら本当に情けなく矮小でゴミクズのようなものに映るだろう。目に見えて私がいたという事実を残せたとして、いくらかの絵と漫画しかない。

 

私がいったところでという気持ちもあるが、人を殺し、屍の上にのし上がったところで足元にあるものは、積み重なった功績かもしれないけれどほぼ誰かの死体だ。金塊じゃない。

 

人を殺すことに、そういう人等は躍起になって、幸福感に満ちていればいいと思う。きっとさぞ素敵な人生だと思うし、誰もが羨むだろうし、下から見上げる人は多いだろう。きっと彼等も、本当は足元にあるものが死体だとわかっていて、見たくないから目を逸らしているのかもしれない。

 

私は最下層からそういう人達をただただ見つめている。